数学のタテマエと本音(その1)
2021/04/21
数学のタテマエと本音(その1)
確かに解けたと思ってみても、どうにも腑に落ちない減点というのが数学ではよくある。
<タテマエ>
何故なのか?と言ったとき、「考えに飛躍あり」「論理的でない」などという赤字がやたらと目立つ。
『数学とは、論理を重視する学問である』との大前提のもとで、バッサリやられる。
この「論理性」が数学のタテマエ、即ち表の顔で、これ故にずいぶん味気なく非人間的な学問という印象を持つ人も
多いはずである。
数字や記号という客観化された道具を用いて、考えの道筋を体系化したもの、それが‘数学’といえるかもしれない。
と、このとき、ハタと思い当たる疑問がある。数学嫌いな人には、そのようには映らないかもしれないが、
数学も他の学問と同様、内部に自己発展の原動力を有しているということである。論理のみによる展開は無駄な部分が多く
ほとんど不毛に近い状態である。例えば、ある公理ξから出発して定理ηを導いたとしても、このηによって主張された事実は
形こそ違うものの元の公理ξに含まれていたことを表現を変えて言ったことにすぎない。
つまり、論理による公理系ξの変形は何にも新しいことを述べるのではなく、限定された世界を回っているにすぎないこと
になる。